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「誰がその美しいかたを(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が出てくるために、誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう。」

 「日本・ユダヤ封印の古代史」って本があります。
徳間書店
ラビ・マヴィン・トケイヤー
久保田有政(訳)
 そこに描かれている話で一番面白いなって思うのは
 鎮魂法の祓言葉で用いられる
 「ひい ふう みい よお いつ むう なな やあ ここの とうぉ」 

 少し訛り修正すると
 「ひゃ ふぁ み よっ つぃぁ ま なーね やぁ かへな たうぉ」

 と発音すれば

 ヘブル語

 「誰がその美しいかたを(女神)を連れ出すのでしょう。
  彼女が出てくるために、
  誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう。」

 となるらしい。

 古事記で隠れた
アマテラスオオミカミ
岩屋戸から出すために唱えた祝詞ももちろんこれですから

 意味が通るんですよ(^_^.)


『魔女』(上)

ミシュレ 著

篠田浩一郎 訳より

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
 ただひとりで、
彼女は受胎し、子供を生んだ。

が、
だれを生んだのか。

うっかりすると思いちがいをしてしまうほど、
彼女に似た

しかし
もうひとり別の彼女自身である。

 それは、
憎悪の息子だが、

愛によって懐妊された。

なぜなら、
愛なしには、
何びとも何ひとつ創造することはできない
からだ。

この女は、
この子について
たしかに
おびえている
ものの、

この子のうちに
あまりにもおのれの姿かたちを認め、

この偶像のうちに
あまりにもおのれの嘆きを注ぎこむ
ので、

結局
この子を祭壇に祭り上げ、
恐れ敬い、
おのれの身を棄ててかえりみず、

おのれを犠牲として
また生ける供物としてささげる
ことになる。

彼女自身が、
なんどもなんども自分を裁くものに向かって
言うことになろう、

「わたしが不安なのは、
 ただひとつ、

 あの子のための苦しみようが
 まだ足りなすぎるのではないか、


 ということだけです」
ランクル)と。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
上の文章が
ずっと納得できなくて・・・
真意が見えなかったんだけど・・・

月マガの5月号を読み返してて・・・
(ってか最新のを読んでたら古いのも読みたくなって
 読み返してた・・・)

『四月は君の嘘』
第25話
新川直司
 先生

読んでた・・・・

そしたら・・・
ああそういうことだったんだ
って納得した。

公正君のお母さんがこんな風に言ってた。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
私なんかどうでもいいの
 それより
 私がいなくなったら
 
 公正は-
 公正は
 どうなるの?

 あの子はちゃんと生活できるの?
 母親がいなくても
 生きていける?

 音楽で食べていける?

 今-
 私に出来ることは
 反復練習のくせを刷り込むこと

 譜面を
 忠実に正確にさらうこと

 繰り返し
 繰り返し
 
 何度も
 何度も


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆



同じことを書いているんだと思ったのね。

 「誰がその美しいかたを(女神)を連れ出すのでしょう。
  彼女が出てくるために、
  誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう。」

『魔女』(上)
ミシュレ 著
篠田浩一郎 訳より
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

彼女自身が、
なんども
なんども
自分を裁くものに向かって
言うことになろう、

「わたしが不安なのは、
 ただひとつ、

 あの子のための苦しみようが
 まだ足りなすぎるのではないか、


 ということだけです」
ランクル)と。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆




『四月は君の嘘』
第25話
新川直司
 先生


の公正君のお母さんの言葉をもう少しだけ引用したい。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

ひどい母親
 あの子に
 何も残してあげられない

 毎朝
 ハミガキできるかしら

 どこでも寝ちゃうから
 風邪ひかないかしら

 運動が苦手だから
 大ケガしないかしら

 好きなものばかり食べて-
 ちゃんと野菜食べるかしら

 引っ込み思案だから
 中学で友達できるかしら

 もっと側にいてあげたかった
 わたしの宝物


 幸せになれるかしら

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


『魔女』(上)
ミシュレ 著
篠田浩一郎 訳
より

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 それは、
憎悪の息子だが、

愛によって懐妊された。

なぜなら、
愛なしには、
何びとも何ひとつ創造することはできない
からだ。

この女は、
この子について
たしかに
おびえている
ものの、

この子のうちに
あまりにもおのれの姿かたちを認め、

この偶像のうちに
あまりにもおのれの嘆きを注ぎこむ
ので、

結局
この子を祭壇に祭り上げ、
恐れ敬い、
おのれの身を棄ててかえりみず、

おのれを犠牲として
また生ける供物としてささげる
ことになる。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

なんとなく
納得できる気がしませんか?

『魔女』(上)
ミシュレ 著
篠田浩一郎 訳
より

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
 シュビラは
人を待っている運命を予言した。

 ところが、
「魔女」は、
ひとに幸運をもたらした
のだ。

これこそが
偉大な、真の差異である。

・・・・・

シュビラが
黎明をながめている
かにみえる
のとは反対に、

彼女は
夕暮を眺めている。

しかし
この薄暮れ夕暮は、
黎明に先立つはるか前に
(アルプスの頂にそうしたことが起こるように)、

太陽が現れることを告げる
暁をもたらす。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


『四月は君の嘘』
第25話
新川直司
 先生


で回想の中で
こんなシーンもある。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
ねー
ねー

お母さん

『ん?
 なあに?』

「愛の喜び」と
「愛の悲しみ」があるのに

どうして いつも
「愛の悲しみ」を弾くの?

『よいしょ
 それはね公正
 悲しみに慣れておくため


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


「彼女は
 夕暮を眺めている。」



 「誰がその美しいかたを(女神)を連れ出すのでしょう。
  彼女が出てくるために、
  誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう。」



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